自己思想ボヤき

ボヤきます

変化する社会

 我々の生きる現代社会に蔓延る資本主義。今その社会に終止符が打たれようとしている。資本主義サイクルと呼ばれるものに限界が近づいているのである。世界全体、国全体でみても賃金水準が上昇し始めたのである。これに伴い、我々は新たなる経済体制を求めて出発せねばならない。

 もともと資本主義経済は、西洋思想の核に当たる「目的の為ならば、犠牲は仕方がない」という考えに基づいたものである。この思想がもたらす経済に終焉が訪れるのである。

 では我々の経済思想は次に何を礎としていけばよいのか。

 次に我々が目指すのは東洋的考えを用いた経済体制、または新しい考え方による新時代の経済体制であろう。後者に関しては、我々が数百年前から持つ倫理観の根底を捨てきれない限りは、考えられない、未来の考え方である。では前者の東洋思想を用いたものにシフトするべきである。

 東洋思想と言っても様々なものに分類される故に、一概には語れない。だがここでは統括すべく「自然の中に人間というものがある」という思想のもと論ずる。

 我々はあまりにも自然を無視し、利益ばかりを求めた。それ故、世界の経済格差は大きくなり、本来あってはならない「金」による大陸間、人種間、国家間での差が広まってしまった。これはかつて自然がもたらしたはずである我々の生活が大きく歪んでしまった結果でもある。あってはならない同種族の格差、我々は同じ人間として、平等なモノでなければならない。今一度資本主義を見直し、我々の本来の「経済」というものを取り戻さねばならない。

 本来ならば、我々の本能がもたらす、高次元での思想の収束。それが創る経済体制こそ理想的なものである。しかし我々は本能ではなく、理性により決定され、理性が生む、恐ろしいまでに冷静な思考こそ、我々のあってはならないモノの孵化を促した。それがいかに人間的なものを欠いたものなのか、それは今の世界が映し出している。

 本能と理性のバランスは常に均衡を保たねばならない。これにより、互いの利益を考えつつも、絶対的な権力を持った存在の回避を促していた。しかしこれが崩れてしまった。それによりもたらされたのがこの結果である。この結果、すなわち、利己的な面こそ最も人間的な部分であるというのならば、我々はこの結果を受け入れると同時に生きる意味を失う。その思想の先にあるのは邪悪なものであり、死に等しいものなのだから。

 我々は少し本能を淘汰し過ぎた。理性に陶酔し、理性こそが正しいものだと何も考えることなく認識してしまう。そんな社会になってしまった。我々の理性に先はない。本能とのバランスをとるものとして、理性は存在する。我々は本能を進化させ、人類という枠組みの中での思想の収束を目指さなければならない。