自己思想ボヤき

ボヤきます

人間とは幻想に生きる生物である

 突然、帰りたいと思うことはないだろうか。

特に意識したわけでもなく、なんとなく口から出た言葉がそれであったならば、それは今に過去を求めているのである。

すなわち、過去への憧れ、渇望。

 私たちの求める過去というのは、本当の過去ではない。

記憶と自分の欲望が作り出す、完全な幻想であり、憧れるものである。

あの頃に戻りたいなんて思っていたとしても、それは自分が勝手に思い描いた幻想にしかすぎない。

それでもなお、私たちは描き続ける。途方もない幻想を。

私たちは幻想に生きているのである。

 しかし人間というのは、お互いに幻想からの解脱を図ろうとすることがある。

無論そんなことは不可能であり、幻想なくしては、我々はどう生きていたらいいのか分からなくなってしまう。

一種のメルクマールである。

 ではなぜ、解脱を考えるのか。

それは幻想が邪魔をしていると認識しているからである。

 無謀な挑戦をして、何かを失ったりすることで幻想への懐疑に陥ってしまうのである。

私の幻想は所詮「幻想」にしかすぎず、現実に求めた私が愚かであったと。

そうして人間は年老いてゆくごとに、如何にも私がこの世界の真理を知っているかのような振る舞いである。

だから一般的には大人というのは、夢などなく、今あることを守ることに興じるようになってしまう。

 だがそんな大人にも何らかの幻想はある。

妻がいて、夫がいて、それでもなお、不倫をしたりすることがなによりの証拠である。

今あることよりも何か喜悦できることがあるのではないかと追い求めるのである。

私たちは幻想に生きているのである。

 しかし現実というものに肉体、精神が囚われている以上は、いくらもがこうが手に入れられないものはある。

明晰夢のように、自分の思いどおりにならないのが現実あり、幻想に渇望する人間が競争するのが現実である。

幻想が我々の現実を生み、現実が幻想を崩壊させる要因となる。

伊邪那美と加具土命のような関係性である。

 我々は幻想を捨ててはならない。

だが同時に現実を捨ててはならないのだ。

相互依存の関係性を成立させることが大切である。

それが我々が幻想に生きることができる手段である。

幻想に生きずして、我々は人間ではないのだ。